死の病&自殺未遂

【じぃじキャンバス19】

じいじ@ルーツ
人生キャンバスで究極の分岐点

「生きてこそ!大学留年と生命」
~死神との対峙・生と死の狭間で~


入学1年目/19歳


大学1年生は、天気晴朗
快晴の日々!

・60年安保ジグザグデモに参加
 平和社会を思索の日々

・伊勢湾台風学童保育に参加
 教育と生命を、子どもたちに学ぶ

・児童文化研究会(人形劇)の
 どさ回り。慰問活動の日々



原は、人生の悩みや
挫折に縁の無い人だな。



と、友は笑った。



・・・そりゃあ「夢の道」を
スキップしている気分!

至福の毎日だもの!



入学2年目/20歳


大学2年生は、
晴れのち・嵐!



学内教育シンポジウムの
レポーターに抜擢され

「学校教育と教育行政について」

というレポートを発表したら、

卒論レベルですね。

と、学長が講評した。

・・・嬉しいね!



ところが、

秋の
人形劇どさ回りの活動中から

激しい疲労感が始まり

良くなるどころか日増しに悪化。

むくみも目立ち始めたので
町医者へ。



すぐさま、

N大学医学部Y教授宛の
「紹介状」を渡され、

N大学病院へ行く。



若い医者が取り巻く診察室で、
Y教授が診断結果を告げた。



急性を過ぎて、
「慢性腎炎」になっている。

今日からは無塩食です。
安静な生活を心がけなさい。



その瞬間、「教師になる」という
わしの夢の道が崩れ落ちた。



おとなしく静養せよ?!

俺の「生きる場」が消えた!



入学3年目/21歳


春が巡り来て
大学3年生になった。

「死神の誘惑VS愛の力」



大学への最寄り駅から
理科校舎への

たった1㎞の道程を
2度休憩して、

やっと
たどり着けるほどに

すでに、体調が悪化していた。  



通院先で

同い年、同じ腎臓病の
友に出会い



がんばろう!



と待合室で
エール交換するようになった。



診察日ごとに
互いの自覚症状を話し合い

「検査データ」を見せ合いながら、



僕らは
地域で最高の大学病院で
治療を受けている。

これ以上は出来んよ。

がんばろうな!



と、励まし合い

握手し、
手を振り合って

いつも別れた。



その頃、

腎炎末期の最先端治療として、

「透析治療」が開発されたが、

毎月100万円の自己負担額で、

せいぜい3~5年の延命だった。



金の切れ目が
いのちの切れ目

の、時代だった!のさ。



今日では、
医療保険適用で

当り前に透析治療が
受けられる!

良い時代になった。



・・・



資産家の彼の家では

病気悪化に備えて

田畠を売り払っている
様子だった・・・。



自分の家は

治療費を
捻出することは不可能だった。



・・・



腎炎患者にとって
最も恐い
冬が近づいて来た・・・。

この2か月、
あの病友に会えない。




診察後の廊下で
治療薬を受け取りながら

看護婦さんに
意を決して、尋ねた。



N君に何か?

最近会わないが・・?



N君ね・・・

急変して、

入院後に亡くなられました。



!?

・・・まさか、

まさか!

彼が死んだ!?



・・・ 



それから
さらに2か月後、

Y教授がワシに言った。



休学して
治療に専念しなさい。



休学しての
治療勧告であり、

命の危機を感じた!



空き病室が出るまでの
「自宅待機」も通告されて

診断書と休学届を
3年生の冬に提出して、休学。

・・・無念!!



自宅で療養していると

亡くなった
同い年のN君を

思う日が多くなり、



自分も?



の・・不安がよぎる。



「夢の道・生きる場」

を失った
暗闇の日々は、

「死神の甘い囁き」

が、多くなっていた・・・。



・・・



休学宣告の半年前、

短大卒で同い年の

教育観に共感する
女性教師と知り合っていた。


画像の説明

初めてのデートは
わしの人生初めての
喫茶店へ。

どきどきしながら
わしが牛乳を頼むと、

彼女は、場慣れた感じで
コーヒーを注文した。



その彼女から、

しばらく、わたしたち
距離を置きましょう。

と、

自宅療養中のわしに
手紙が来た。



・・・



若いわしは

人生の
すべての希望を

失った・・・。






死神の誘惑


自宅近くの線路脇を
ウロウロと・・・

行ったり
来たり

何本かの電車が
通過するのを

飛び込むでもなく
止めて離れるでもなく

さまよい続けていた



・・・・



その時、わしは見た!

母と父の幻影を!



狂乱する母!
うなだれた父の姿! 



親不孝
決行寸前に

親不孝後の
親の幻影




見た!



幻影は、

「愛の化身」

だった!



「家族の愛」

父・仁邑
(愛の村、という名前)

母・秋子
(いつもワシを受入れてくれた)

兄(中学卒業で働き、支えてくれた)

妹(内密に薬を持ってきてくれた)

弟(賢くて頼りになる、小さな弟)

祖父母
(修験者の祖父、静かな祖母)



「他人の愛」

ヒコーキおじさん

戦争未亡人

アイスクリーム屋の大将

などなど・・・






わしの人生で出会った
人たちの

「愛の力」が

三途の川で
「死神」と対峙した!






この世に・・

俺を・・

引き戻してくれた!



=========
人は、
この世に
=========
生きて在るだけで
良い!!
=========



この
当たり前の

「真実」に、

21歳で“やっと“

気付いた俺だった!



不死鳥に変身


「断食」決行!

病状の悪化や
病友の死による

「実体験」は、

最先端である
西洋医学の限界を、

わしに実感させた。



だが、

死の淵から帰ってきた
「俺の魂」が叫ぶ!



俺は
俺の命を

諦めないぜ!



* * * * * * * *

 この世で生きてこそ、人生!!

* * * * * * * *



迫りくる「死神」と

自分自身が
直接、対峙するために



わしは
「東洋医学」に道を求めた。  




馴染みの古本屋「大学堂」で

医学書「断食療法論」
に出会い、

共鳴し
納得したうえで

覚悟の決断を下した。



断食療法だ!



あらゆる生命体は、
みずからの命の危機に対抗して

「自己修復力」を発揮する。



これだ!

納得できる!!



民間療法だけでなく、

3年前の
医学会でも認められていた!



「断食で、免疫関連遺伝子が
活性化する事実を発見」

という論文(ロシア)
を確認した。



やっぱりなあ!



胃腸病は、
約1週間断食して

器官を休養させる。

なるほど!



深部の臓器(腎臓病など)は、

危機的状況に近づける
「断食期間」が、効果在る。



肉を切らせて
骨を切る!のか。

なるほどなあ・・。



座して死を待つより

やるだけやって
生き残ろう!






「断食療法」は
自宅でおこなうと決心し

覚悟を固めた。



断食の初日に、

涙目の父と母。



やめてくれ・・
どうしてもか!?



絞り出す声。

青白くむくんだ
俺の肩に

のせた父の手が
震えて・・。



それでも、



きっと良くなるから・・。
死なないから・・。

きっと!



と、答えた。



・・・



隣の部屋で
家族が食事する気配を感じながら

俺は、普段通りの生活をして

食生活だけを
「断食療法」し続けた。



断食の決行後、

体重が
約1ヶ月後には
14㎏減った。



赤本に予告されていた
断食中に発生する
各種症状は

・大量排泄
・色覚異常
・幻聴
・幻覚
・身体の浮遊感

などなど・・・が



来た!来た!



予告のいろいろな症状が
現れて「来た」とともに、

不安から
次第に



治るかも・・!




という
期待に変わっていった。






そして・・・



断食開始後から2週間過ぎた
本断食8日目の朝は、

何年ぶりかの

気分爽快な、心身の感覚!

信じられないほどの、清澄感!



奇跡が起きたか?!



と、心が躍る。



早速、

毎朝、習慣の
「尿検査」をした。

何と!

いつもは
白濁していた検体が

「清澄・透明・琥珀色」

であった!



これは治るぜ!



予感は確信に変わり

心は天に舞い踊った!



・・・



自宅での「断食療法」を
終えた

4日後に

N病院から
「入院通知書」が届き、

すぐに入院した。



主治医の第一声は、

原さん、何かしましたか?



驚きと戸惑いの表情で

尿検査所見が、正常ですが・・



うれしい!
やっぱり本物だ!

ついに、やった!

生きられる!
奇跡だ!



Y教授が
医局の医師を8人引き連れて

わが6人部屋にもやって来た。



俺のカルテを見ながら、

(数値が正常の)この患者は
なぜ入院しているのか?

と、
Y教授が主治医を詰問した。



主治医が赤面し、小さな声で

断食したそうです・・。

と、答えた。



これが「象牙の塔」の風景か
と、ワシは思った。



入学4年目/22歳


N大学病院に3カ月入院して、

退院後の療養と通院生活の
日々が続いた。



その間に、

少しずつ
体力が回復していった。



そして、

1年ぶりに
「復学願」を提出し

初冬の12月に
受理され、復学した!

うれしかった!



大学5年目/23歳


無事に復学してから、

一人だけの教育実習を

6月に、母校の
付属中学校でおこなった。



指導教官のA先生と
理科教育観がピッタシ一致!



事実に学ぶ:実験・観察が
主体の授業でなきゃあ、

理科授業じゃない!



原さんの授業案で良い。

任せます。



というA先生の言葉に
やる気満々の日々だった。



教材・教具が充実した
理科室/理科準備室で、

学力優秀な生徒たちとの
3週間の授業は楽しく、

彼らも「別れ」を
惜しんでくれた。



これで、
小・中・高の免許取得単位を
修了した。

「夢の道」への

再挑戦の準備が整った
喜びが在った。



・・・



入学5年目、4年生の夏
愛知県高校教員採用試験に臨んだ。



面接試験では、

名古屋のS高学校長が
試験官だった。



原さんの
教員志望動機を、お話し下さい。



俺の「教師への夢の道」話に、
熱心に耳を傾けていた彼が



面接時間15分間が過ぎました。

が、

あなたの話を

もっとお聞きしたい。



幸い、

あなたが面接の最後ですから

お話を続けてくれませんか?



面接試験が、

いつの間にか
楽しい「教育談義の場」と化して、

50分が経過した。



子どもたちのために、

ぜひ、先生になってください。

希望される学校があれば、

聞かせてください。



私は、

自分の病気体験から

障がい児が学ぶ学校で

働きたいです。

と、伝えた。



・・・



病名宣告から
3度目の秋。

教員採用試験の合格通知書
届いた!



暗く
長いトンネルの先に

まばゆい希望の光が
差し込んできた・・・。



卒業/24歳


希望通りに、
N養護学校が

「じいじ@夢の道」

教員最初の
赴任校となり、

「教育の原点」を
生徒たちから学ぶ

スタートとなった。



・・・



そのころ、

1年半ぶりに
あの彼女から手紙が届いた・・。

(うれしかった!)



その1年後に

二人はめでたく結婚し、

長女(このブログの管理人)
授かりました。



これは、
生きて在ったからこそ

・・・です。



わしの教育理論・実践方法は、

人生キャンバスの土壌から

ごく当たり前に

自然生えした「野の草」で、あり

「リラックス教育実践」だ、と

正しく理解して欲しくて

この「キャンバス・シリーズ」を
書き始めたのでした。



そのじいじ@の願いは

少しでも、あなたに
伝わったでしょうか?



人間
一人ひとり

真っ白だった
人生キャンバスを

それぞれの絵筆で
いろどり、
描き続けています。



それが、

自分の人生を生きること

なのだろうな?と

この頃
特に考えています・・・。



・・・



次回からは、

じいじ@キャンバス・シリーズ
の延長上で
わしが自然に創り続けた

教育実践のコツ・シリーズ
「学級担任・教科担任」

を始めます。



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まだ取れない@じぃじ。



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