「にんげん」教師の薫陶

【じぃじキャンバス17】

昭和30年代に、じぃじ@が通った
A工業高校のユニークな先生たち

「にんげん」教師の薫陶・・




国語の先生は「かっとび黒マント」


短歌同人誌を主宰する歌人。

授業が終わった3時半には、

5尺(150cm)そこそこの
体に羽織った黒マントを

はためかせて
自転車に飛び乗り、 

「さいならー!」

と叫ぶ生徒に

左手を高く上げ
校門から去りゆく。

その勇姿に
生徒がつけたアダ名は、

「かっとび黒マント」

画像の説明

ある日、

原君、
昼休みに職員室へ来なさい。

ワシが行くと、
文系の受験雑誌
「学燈」を差し出し、

「1週間貸すから・・」

と、励まし続けて下さった先生。


社会の先生は「なよなよ女形」


フッと吹けば
ヨロけそうな細いお体で

一言ずつ
ぽつり、ぽつりと
お話される授業は、

蚊の羽音も聞こえるが如し。

工業高校の野郎どもが
付けたアダ名は、

「なよなよ女形」



1学期最後の授業で、
教卓上に積み上げられた文庫本。

いつもの
蚊の鳴くようなお声で

「夏休みに読んでみませんか?」

本の名は・・

「死の商人」
岡倉 古志郎/著(岩波新書)
http://booklog.jp/users/teracoya/archives/1/4406026789

画像の説明

読み進むほどに
驚きと怒りが込み上げる!



それとともに、

「なよなよ女形」は
「鉄人先生」だと

野郎どもは知った。



人生で初めて、

人殺し兵器を売買し、
政治を操る

紳士面をした「悪魔の存在」に
気づかせてくれた先生。

じぃじ@幼少期の
疎開体験・貧乏生活の

背後(戦争)を考えるきっかけ、
大人の入り口へと

ワシを導いて下さった
先生だった。


英語の先生(1年時担任)は「赤っ鼻ラガーマン」


「そうだね、もう高校生だからね。」

両親の代わりに
入学式保護者会へ出席したワシに

やさしく声掛けしてくれた
学級担任の先生。

口癖は、

君たちみんなで相談し合って
決めたことなら、

このクラスでは
何をやっても良いんだよ。

これって、

学級「自治活動」保障の
鉄則ジャン!



その、
ラグビー部顧問のラガーマンは

「赤っ鼻先生」


もう一人のラグビー部活顧問は「豆タンク」


ひときわ大きな声を出して
グランドを走り回る
笑顔はじける小柄な先生。

生徒が付けたあだなは

「豆タンク!」



25年後に
豆タンク先生と、じぃじ@は

校長と総務部長コンビとして
教育現場で再会!

3年間を、
普職連携教育・研究指定校として

普通科の就職生徒に
自信を持たせるため、

全員の
「商業簿記3級」資格取得を
達成した。

生徒思いの「豆タンク」先生は
健在だった。



有機化学の先生は静かな風格の「老学者/教授」


この先生は
チャイム前に入室。

始業挨拶が終わるや否や、

厚さ3㎝
黒表紙の専門書「有機化学」の
付箋ページを開き、

今日の有機化合物の
特徴・性質は

○官能基の
機能によるものです。

例えば、物質名〇〇・・・

と、板書しながら

毎時間、同じ授業スタイルで
進められる。



それが、
不思議にわかり易く

自然と授業に集中できる
魅力が在った。

彼に生徒が付けたあだ名は

「教授」



じぃじ@高校生は
あの、黒表紙の専門書を探しに

自転車で、名古屋鶴舞の
古書専門店街へ行き

「大学堂」の理工学書棚に
「有機化学」を発見!

「黒表紙」みっけ!

以降、ワシは
「教授」の授業は
予習で余裕。

ますます好きになった。


・・・主要科目の予習は、
毎日2時間半おこなうのが
当時のワシの習慣だった。

画像の説明

一般化学の先生は「博士」


授業以外は、いつも
準備室の机上に足を乗せ

学術誌「化学工業」の論文に
読み耽っていた先生。

生徒がつけたあだ名は

「博士」



授業はハイレベルで、
背筋が伸びる授業だった。

文部省検定済み「教科書」は
チラチラとめくり、
ひと言だけ触れて終わり。

理学専門書「化学通論」を
主に、授業を展開した。



先生曰く

N工業大学の講義も
この本で
学生が勉強している。

君たち、A工業高校生にも
適しています。



(ヘえ〜!大学並みか!)

と、じぃじ@高校生は
誇りに思った。



ある日、ワシは
ロケット推進剤(危険物!)である

火薬づくり研究の許可を
願い出た。



「博士」は、
しばし腕組み・・・。

そして、

原なら、いいだろう。

器具・薬品、
何を使っても良い。

その代わり、

常にゴーグルで
目の保護をしなさい。

この言葉に

身震いするほど嬉しかった!



それからというもの

ロケット製作と

庄内川河川敷での
ロケット試射を

繰り返した化学部の毎日。



それは、
3年間にわたる

至福の
ワシの「個人研究」だった。



今でも考えるほどに

先生の勇気ある決断と
生徒を信頼した偉大さに

感じ入るのです。


工業化学科科長の先生は「親分」


「親分が行く!」

生徒どもは、
ひときわ低く頭を下げて

「お早うございます!」

「やあ。おはよう」

と返ってくる、厳かな声。 

時折、朝から匂い来る
酒の香り・・・。



ワシは、ぜひ
授業を受けてみたかったが

受けられなかった。

最期まで
ミステリアスな「親分」



染色実習の若い先生は「兄ちゃん」先生!


22歳の若い講師の先生と
生徒の話題は

「兄ちゃんの彼女は?」

顔を赤らめる
純情な先生。

兄ちゃん先生は
毎日、4時に下校し

「本物(正規の)先生になるために」

夜間大学へ通っていた。



数十年後、新聞で

O工業高校の校長として
赴任された様子を知れて

嬉しかった。

あの頃は
ワシも、先生も若かった。

「兄ちゃん先生」



指導部長の先生は「エロ坊主」


住職と教師の
二足のわらじを履く先生。

鉄棒の授業では

大車輪の模範演技!

「スゲー!」

と生徒は感嘆。



「随所に主たれ!」

(シュタイ的に生きよ!)

と法話する
永平寺の修行経験僧。



だが、
盛んなキャバレー通いも
生徒たちの良く知るところ。

だから、
生徒たちが付けたあだ名は

「エロ坊主」先生



寛容な教師で

後に、長らく
О養護学校の校長を勤められた。



長身で物静かな体育の先生は「哲学者」


飛行機大好きな
ワシと親友の3人組が

グライダー同好会を
結成することで意気投合。

体育の先生に
部顧問になって頂くよう依頼。



固辞し続ける先生から

「君たちの想いに・・折れたよ。」

この言葉を頂けるまで、
3人で何度も職員室へ通った。



先生の友人
(T新聞社の航空部長・当時の
日本グライダー界のリーダー)
厚意で、

初級グライダーを、同好会に
貸して頂けることになった!

20人を超える同好会メンバーが
隔週の土日に集まり、

学校近くの庄内川河川敷で
飛行練習を開始。

春休みは、
T新聞社専用・大府飛行場
(旧日本軍飛行場)

テントで野宿しながら
グライダー合宿。

画像の説明

中央に座るのが創設者3人組

合宿の開始前日に、

特別招待飛行で呼ばれた
ワシら3人組は、

新聞社のパイパーカブ機を
操縦体験した!

これこそ、
「夢の操縦」飛行
初体験だった!



あの時の

爆音
プロペラ音
離陸感覚
宙返りの感覚が

昨日のことのように蘇る。



けれど、

この感動を下さった
グライダー部顧問の先生は

「私は、乗らない…」

と、唸るように呟いた。



実は、先生は

予科練特攻隊パイロットの

生き残りだった・・・。



言葉少なく
生徒に戦争の悲惨さを伝えた

「哲学者」



・・・・・



このように、

人生の羅針盤を育む
思春期に

「にんげん」教師の
薫陶を受けた@じぃじ。



いま一度、自分が
子どもの前で

「にんげん」教師なのか
「マシーン」教師になっていないか

振り返って欲しいと
切に、思う・・・。



じぃじキャンバス18へ

今後の予定


次回は、
シリーズ最終回

じいじ@人生の分岐点
「工員から転身した大学で留年の謎」

を予定しています。



シリーズ終了後の予定は、
「ハラのふくれる葉書」の再開!



生徒一人ひとりの
多様な個性が奏で合う

1.「学級づくりのコツと実例」
2.「授業づくりのコツと実例」



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